「目は遠く足は地に」
昨日の勉強会の第一部で、明石康先生の講演を聴いてきたのですが、
そこで会場の方が、先生の座右の銘について質問した際に先生が答えた言葉です。
高い目標を掲げ、それに向かって一歩ずつ歩むという姿勢を表したものです。
学生活動を始めた頃の自分は、外ばかりに目を向け、日本の現状に興味を持っていなかったので、まさに地に足がついていない状態で、様々な方からご指導を賜ったことを思い出しました。
しかし、外へ出れば出るほど、足元の事情を知らない自分・足元の現状に対して何もしていない自分は恥ずかしいと思うようになり、Think Global, act local と言う考え方の必要性を身にしみて感じました。
講演では、国連という組織について、その可能性と限界についてお話をしていただきました。
日本では、比較的、国連に対して過剰なほど期待を寄せたり、理想的な組織として認識されることが少なくないが、
二極論で語られるような理想の組織と言うわけでも、逆にただの無力な組織と言うわけでもない、ということをおっしゃっていました。
私自身も、IPSF(国際薬学生連盟)の役員になる前は国連や関連組織に対して幻想や憧れに近いイメージを持っていたことを思い出します。
しかし、各国の代表が集まるような会議にオブザーバーとして出席させて頂く機会や、
実際パートナー団体として、キャンペーンやプロジェクトを遂行する上で、ミーティングを重ねるにつれ、そこで働く人々の顔が見えるようになり、
彼らも等身大の普通の個人であり、
できることもあれば、できないこともあるし、地味な作業もたくさんあるし、
勤勉な人もいるけど、そうでない人もいて、
やらなければならないことは山積みだけれど、
数年前の国連組織の改革で、経費も人員も大幅に削減され、出張もあるし、
やりきれないこともある
ということを知りました。
そして、国連は、独立国家の集まりであるので、国家と同様に語ることはそもそもできないが、
国連総会として何かしらの勧告を提示することもできる時もあれば、そうでないときもあり、
安保理として、強制力を持って決議をできることもできる時もあれば、常任理事国の拒否権により、難しいこともあったり、
事務総長が動けるときもあれば、そうでないこともあり、
それらが協調しあい、様々な対応をしている、ということでした。
先生が、人生の中で学んできたことは、
「自分を冷静に客観的に見ること」
「成功しても有頂天にならず、失敗しても腐らない」
ということでした。
嬉しかった体験は、カンボジアの始めての民主選挙で、「失敗するであろう」との予測が飛び交う中で、住民が自分の足で、一番の晴れ着を着て選挙に行く姿を見たことや、
イラクに訪れたときに、クルド人の子供たちが、先生の車に向かって、歓迎のお花を投げてくれたこと
などをお話されました。
「嬉しかった体験はたくさんある」
とおっしゃっていました。
対照的に、「苦しかった体験もたくさんあるが、誰にでもあることで、考えないようにしているが。決して自暴自棄になったり、消極的になったりせず、そこから自分の能力やスキルを蓄えていけばよい」ということでした。
ただ、アメリカにおられたときに、上司である長官と意見が食い違った際には、
「歴史はどちらが正しかったか判断してくれると思った」
といった言葉がとても印象的でした。
最後に、
「どんな民族でも国民でも、自分とともに働いたりチームを組んで取り組める人を見つけることはできる。逆に国や文化が同じでもそれが難しい人もあるけれど、
これからの若い人たちには、どんどん外に出て、そういう機会を見つけてほしい。
でも、日本人としての誇りやアイデンティティと言うものも忘れないでほしい」
とおっしゃっていました。
先生の講演の内容自体ももちろん素晴らしかったのですが、
講演中、ほとんど何も見ない状態で、「何年にどこでこんな出来事がありましたね」という具合に、歴史を実体験として鮮明に記憶していて、わかりやすい言葉で語ってくださったことが、印象的でした。
そしてなにより、先生が、質問した人のポイントを的確におさえ、それに対しても
客観的事実とともに、自分の中の主張を併せて丁寧に伝えていて、
なんて聡明でコミュニケーション能力が高い人なのだろうと思いました。